remix:tofubeatsについてのささやかな覚書

tofubeatsがついに「don’t stop the music」でメジャーデビューした。

それに便乗して(というか最近はdj newtownのことを知らない人もたくさんいて、前日のヒストリーもかなり頻繁に見られているようだし)まあ再掲するのもいいかなということで、すでに三年前のテキストをupする。これはtofubeats君がmaltine record上で変名プロジェクトとして活動していたdj newtownについて書かれたエピソードです。

それを書くに至った自分のことについては、水星論(x):x=一人称を参照に

「あったはずのhometownと、あり得ないマルチエンディングに向けて」 神野龍一によるライナノーツ 2010/11/02

1990年生まれのtofubeatsくんは自分と5つ違いで、かつ同郷なんです。もちろんお互いは全然面識ないし、細かいところは全然違うけど。自分はいわゆるJR沿線でtofubeatsくんは地下鉄沿線(神戸および関西では、利用する電車でおおざっぱな文化層が分けられる)の住民だし、学校も全然違う。もちろん自分には才能ないし、あんまライナーで自己アピールするのもちょっと浅ましいよね。で、逆に共通だなあ、地元の人だなあと思っちゃうのが、彼が「KOBE」という言葉を発する時、そこにはあったはずの「神戸」と現実の「神戸」っていう街の二重性が表れてると思うんだよね。

gottosさんは1997と2005の接続について書いてたけど、自分はやっぱり神戸は1995の出来事の影響がめちゃくちゃでかかったと。tofubeatsくんはおそらく当時5歳なんで覚えてはいないと思うんだけど、その後のなりゆきだけでも十分で、あのときから神戸って街は「本来だったらありえた街」と「現在の街」というギャップにいつも苛まれることになった。これは何処だってそうだ俺の街だって、って言うかもしれないけど、「あの頃はよかった」っていうノスタルジーに回収されないで、あったはずの「現在」がそのまま並列された形で意識されてる街って当時(これは後述)ほとんどなかった。

多分tofubeatsくんもそうで、神戸に対して愛着と同時に「もうちょっとこうなはずだ」っていう願いもあると思うんだよね。一応オシャレな街といわれてるけど、ならもうちょっとアーバンにとか、独自文化があってもいいだろとか、せめてjetsetがなくならない程度にはクラブ文化があってくれよっていう現実とか。おそらく神戸住民のほとんどはそんな「あったはずの神戸」と現実を二重写しにして、多元的な、ある意味マルチエンディング的な想像力を働かせて過ごしていたし、現に今も過ごしている。

例えば同じ神戸出身者には、tofubeatsくんの9コ上には西尾維新がいて、その7つ上には清流院流水、さらに4つ上には涼宮ハルヒ谷川流がいる。って書いたら、なんか想像力のあり方の説明に、説得力がある気がしない?wで、彼らが出てきたのが、ちょうど日本全体が「失われた10年」なんて言われたりした頃で、全国的にこの「あり得たはずの国」みたいな多元的想像力を欲してた時期っていうのが、自分の見立てだったりする。(蛇足ながら自分はtofubeatsくんと西尾維新の間で、ちょうど神聖かまってちゃんと同い年。TSUTAYAでビートルズやセックスピストルズを借りて聞いた最初の方の世代w)

彼らは小説家だけど、tofubeatsくんは音楽の人で、それの違いっていうのはあるけど、イマジネーションで組み立てられる小説より、むしろ音楽はもっとリアルに届く力があると思う。tofubeatsくんのcutupの音の断面からはそんなあり得たはずの「神戸」の世界が見える。いや逆か、tofubeatsくんの音楽が、そのあり得たはずの世界の音楽で、それが現実の世界に届いていく、切り開く力を持って届くんだ。例えばアーバンとアイドルとアニメが並列してクールに語られる世界とか。そしてそれは現実化しつつあるように感じる。
http://maltinerecords.cs8.biz/58l.html

その後、ここに書いてある神聖かまってちゃんのの子。さんをfeatした曲ができるとはさすがに思いもしなかった。
そして、メジャーデビューまでにここから三年という期間がかかることも。それは、竹内正太郎氏が「lost decade」のレビューで書いたように、たしかに”ある意味では遅すぎ、ある意味では早すぎたというほかない”というものだった。

その一年後、dj newtownのプロジェクトが終了するにあたり、書かせてもらった文章がこちら。これ、いまmaltineのサイトでは見れなくなっているので再掲

dj newtown tribute に寄せて - 神野龍一 2011/12/29


前回、tofubeats を語るにあたって、95 年を軸に語ったので、今回はそれ以降の神戸と tofubeats 君についてのことを語ろうかな。 「神戸」と「ニュータウン」っていうと、以降の出来事の話で、えーと、本当色々あって。それが今の時代とどこまで関わっていて、

かつ自分と切り離すことができるのかっていうと正直心許ないんだけど、その後に起きたちょっと大きな事件のことを語りたいと 思う。 あの神戸の少年がなぜあんなことになってしまったのか、という理由は色々と語られて、マンガやらの影響とか家庭とか資質と か色々指摘されていたなかで、「ニュータウン在住」っていうのがあげられたりしたんだよね。計画された均質的で人工的な新興住 宅地では街の猥雑な部分がなくて、少年たちのなんかむしゃくしゃした欲望とかのはけ口がない、ベッドタウンでは社会と生活の 場が切り離されてよくない、とか云々。 で、そのために対策しようってことになって、中学生をしごと体験させて社会経験を積もうとか ( 対価もらえない労働かしごと になるかよ〜公務員 ) よくわかんないことが行われたりしたんだけど、 言いたいのは、「あの当時ニュータウンって言葉は決して肯定的な言葉ではなかった」ってことで、なんとなくそこには、人が息 づいて文化をつくっていく「街」とは一線を画すものがあった。まあ言ってしまえばはけ口というかアウトプットがなかった。イ ンプットは後に続々作られた TSUTAYA なんかが一応まかなってくれるけど、それもほっとけば棚に眠っているだけの棺桶みたいな ものだった。動く街に対して郊外は「止まった場所」だったし、いまもそれは変わらないだろうと思う。 でも、たからって郊外の人は止まっているわけじゃない。そういった場所でのはけ口がどこに向かったのかというと、それは確 かに郊外からは現れることがなかったけど、この時期にできた新しい2つの裂け目ー深夜の隙間に放送されたアニメ番組と、新し いメディアとしてでてきたインターネットーたったっていうことができると思うんだよね。そしてこの2つはこの後の日本の文化 を考える上で欠かせない要素になる。

もちろん tofubeats 君も、その文脈を受けて現れた。均質的な郊外で深夜にアニメをみたり、TSUTAYA で CD を漁ったりしながら 都会のダンスフロアを夢見る音楽。ただ tofubeats 君か行ったのは、「断層」にあった要素をもう一度「郊外の音楽」として提示し たこと。そうやって無機質な郊外の景色をほんの少しだけ変えた。 そう、ほんのちょっとだけ変えた。それは例えばかつてフロンクスの集合住宅団地に起こったような、日常や暴力闘争をパーティー にするような劇的な変化てはなかった。でもだからこそこの変化は重要で、この「ちょっと」はちょうどそれ「以前」と断層をつ くりながら、かつ連続して変化した。ちょうど、アニメのセル画のカット前後みたいに。そうすると、それまで止まっていた郊外 の景色が残像になり、「動き」が生まれた。それは jpg が mpg になるような変化、止まった画像が動き出すような変化だったんだ。 それはまだたった一瞬の、コンマ数秒の変化だったのかも知れない。そして tofubeatくん変名プロジェクトであったdj newtowns がいなくなった後も、この「ちょっとした変化」 を続けて、郊外に動きを与え続けていかなくちゃいけないんじゃないか。それが郊外の残像、そして tofubeats の残像に続いてい くために必要なことなんだ。

最後に、tofubeats ありがとう。君のおかげで、明日が今日のリプライズにならなくて済む。
http://maltinerecords.cs8.biz/103.html

いまやtofubeatsがメジャーな存在になり、ここで述べているような「地方の郊外のためのダンスミュージック」といったものからも変化しているし、もしかしたらイメージを引きずってしまうものかもしれない。(このインタビューはとても当時の雰囲気をよく伝えているように思う)例えば、最近のtofubeatsは特に、ここで述べられているような「生まれた頃の音楽」の憧憬へと近づいていることとか、あと最近の曲の構造の変化とか。ただ、こんな物語もありつつ、それがまた更新され、現在まで続き、また更新されていくのだろうと思う。その少し前の「残像」としてここに残しておく。